1.次男の誕生日
今日は小学5年の次男の誕生日です。11歳になりました。11年前の今日、次男が産まれたんだったなあと思い返すと感慨深いものですが、同時に次男が産まれてまだ11年しか経っていないんだと思うと、この11年間は本当に様々な出来事がありました。
次男の産まれた日の出来事としては、産婦人科に出掛ける直前の長男の不安げな表情、妻を産婦人科に連れて行ってから仕事に出かけるまでの時間、産まれたとメッセージが入った時のこと、仕事から帰って次男の顔を見に行った時のこと。そして、その春に私は大学院に入学して土日含めて授業を受けるため家を留守にする日が2年間続いたこと。長男の幼稚園入園や小学校入学、そうしているうちに次男も幼稚園に入園。その少し後に妻の病気が見つかり、そこからは本当に大変でした。約4年半の闘病生活の末、妻は亡くなってしまいましたが、妻が亡くなった時、次男はまだ9歳だったことになります。
もちろん、次男が産まれてからの11年間では楽しかった思い出もたくさんあります。それら全てを思い返すのには時間がかかりますが、ざっと振り返ると、20年分くらいの人生を歩んだように感じます。
2.次男に話してあげたこと
この間の出来事についてはさておき、今日、次男の誕生日として次男に話してあげたことをひとつ紹介したいと思います。それは次男が産まれた時の妻の様子です。妻は亡くなる直前、子供たちに自分のことを忘れないでいてほしいと願い、一冊の本を子供たちに送りました。その本は改めて紹介させていただくとして、このように子供たちに本をプレゼントした妻の気持ちを察すると、子供たちにはいつまでも妻=お母さんのことを忘れないでいて欲しいと願っていたのだと思います。そのために私ができることは、写真や動画にも残っていない、私の記憶に中にいる妻=母親のことを、子供たちに伝えていくことだと思っています。それで今日は、次男の誕生日ですので産まれた日の妻の様子を次男に話してあげたのです。
3.人生の節目
話をしてあげた直後の次男の様子は、あまりありませんでした。ただ、今はそれで良いと思っています。これから毎年、人生の節目として誕生日を迎えます。その日に私は子供たちに母親の思い出を話してあげる。これを継続していくことで、少しずつ、次男の脳裏に母親の姿が思い出として残るでしょうし、私の脳裏に浮かぶ妻の思い出が、子供たちの思い出として子供たちの脳裏に乗り移るのではないかと考えています。
子供たちも成長とともに、亡くなった母親の思い出との向き合い方が変わっていくと思います。おそらく現時点では、次男はまだ母親の思い出とどのように向き合えば良いのか分からないのだろうと思います。だから黙ってしまったのだと思っています。しかし、これから成長するに従い、その思い出と素直に向き合える時が来ると信じています。それまで私は、子供たちの誕生日に母親の思い出を伝え続けることが使命の一つであると考えています。
4.まとめ
誕生日を節目として、一歩一歩子供たちが心身ともに成長することを願いながら、これからの子供たちの誕生日には、母親の思い出を話していこうと思います。子供たちにも誕生日にこの1年を振り返り、成長できたことを実感して欲しいので、そのような話もしてあげたいと考えています。
今週末に次男の誕生日をもう一度祝おうと思っています。週末にしっかり時間を作り、次男が産まれてきたことへの感謝と家族の一員として掛け替えない存在であることを私の言葉で伝えてあげたいと思います。
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