子供の言葉の信じ方

考え方

1.次男のいたずら

 小学5年生の次男は、時折、いたずらをします。今回は友達の消しゴムを隠したらしく、ちょっとした騒動になったと担任の先生から電話で聞きました。担任の先生いわく、次男は自分が隠したのではないと言っていたが、最終的には自分が隠したと認めたとのこと。そして、お父さんのほうからもお話ししてあげてください、と言われました。

 ちなみに次男の担任の先生は、本当に良い先生で、父子家庭である我が家に気をかけてくれているのか、次男の学校での様子などをよく伝えてくれます。今回もいたずらをしたであろう次男に放課後付き合っていただき、いろいろ話をしていただいたようです。

 この一件は25日金曜日の出来事でしたので、早速その日の夜にこの件で次男と話しました。すると、「自分がやった記憶がない。よく覚えておらず、やったかもしれないしやっていないかもしれない」とのこと。怒られたくなくてこのように言っているのかと再確認してみましたが、やはり覚えていないとのことです。

 

2.次男にとって大切なこと

 友達の消しゴムを隠したのが次男なのかどうか、現在のところ真実はわかりません。担任の先生いわく、次男が隠したと認めたとのこと。一方、次男は覚えていないとのこと。

 事実が何なのかを把握することは、ビジネスの世界では重要です。今回の一件も、私は事実を把握することが同じく重要であると考えています。なぜなら、仮に友達の消しゴムを隠したのが次男であるなら、次男は私に対して誤魔化していることになります。誤魔化すとは自分から逃げていることであり、そもそもそのようなスタンスでは、人生に対して真正面から立ち向かえる人間にはなれません。仮に、その場を誤魔化してやり過ごすことができたとしても、長い人生の中ではどうしても逃れられない場面に出くわします。そのような場面において、困難を乗り越えられない人間になってしまうのでは困ります。

 一方で、消しゴムを隠したのが次男でない場合、次男は隠したのが自分でないことを説明できる必要があります。おそらく状況判断上、次男が隠したとするのが妥当だったのだろうと思われます。しかし、本当に自分はやっていないと言えるなら、次男は身の潔白を理路整然と説明しなければなりません。なぜなら、社会に出るとこの手のややこしい問題はよく発生します。中には理不尽と思われることも起こりうるのです。特に組織の問題などはその類がほとんどだと言っても過言ではありません。その際、身に降りかかる疑いを払い除けるスキルが必要になるのです。

 このように次男にとって大切なことは、自分自身の行いに対して真実に向き合い、その真実に従って立ち居振る舞うことだと思います。記憶にないなどというように誤魔化すのではなく、ちゃんと事実を説明し、その事実に従って言動できる人間になってもらうためにも、やはり事実を把握することは重要であると考えます。

 

3.子供の言葉を信じることの大切さ

 次男は覚えていないと言っていますが、私はその言葉を信じています。しかし、内心では次男の様子から想像するに、次男は自分がやったと言いにくいのだろうとも思っています。しかし、私は次男の言葉を信じて今回の一件を対応しています。私が次男に伝えたことは次の通りです。

・大切なことは真実をハッキリと説明すること。

・事実に対して行動すること。

ちなみに2つ目は、もし自分が隠したならちゃんと謝ることですし、そうでないなら自分でないことをちゃんと説明することが必要であると次男に説明しています。

 

4.まとめ

 どちらが事実にせよ、求められることは勇気です。謝るにせよ、自分でないことを説明するにせよ、勇気が求められます。自分でないことを説明するのに勇気が必要なのかと思われるかもしれませんが、私は必要と思います。そもそも次男にとっては自分が疑われているわけで、その疑いを覆すだけの説明をしなければならないわけです。そのためには相手を納得させるだけの説明力が必要になるのです。単に自分が隠したのではないと言うだけでは周囲を納得させることはできません。

 私がこの件で次男のためにできることは、真実を話す勇気を持ち、その真実に向き合って行動するよう促すことです。たかが消しゴム1個ではありますが、これは次男にとって人間的成長を遂げることができるかどうかのひとつの関所のようなものだと思っています。勇気を持って事実を説明すること、そしてその事実に向き合って行動することの大切さを説明していきたいと考えます。

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