1.新たな発見
週末は本当に忙しいです。時間が足りません。家の用事や子供の面倒で大半の時間が過ぎてしまいます。そんな時、亡くなった妻も生前はこんな忙しさの中で週末を過ごしていたんだなあと、今になって思うことがあります。妻にしてみれば、家事や子供のことだけでなく、週末は私も自宅にいるわけですから、私以上に週末は大変だったんじゃないのかなと今更ながら思います。亡くなった妻には感謝です。
しかし、家事をするようになって新しい発見もあります。まずは子供の性格。妻が亡くなってから子供たちと接する時間が長くなったことで、子供たちの人柄に深く触れる機会が多くなりました。次に料理の楽しさ。独身時代を含めて手料理をほとんどしたことがなかった私。妻の病状が悪くなり家事ができなくなった頃から少しずつ妻に教えてもらいながら料理を始めました。今でも決してレパートリーは多くないけど、レシピを見ながら初めて作るメニューに挑戦することは、なかなか楽しいものでもあります。そして子育ての大変さを実感しています。子供とは言えひとりの人間。個性を持ったひとりの人間として尊重しながら接しますが、まだ未熟な子供ですから育てる責任を果たしていくことも必要です。時には子供のためと思って厳しいことも言いますが、後になってこのような接し方で良かったのだろうかと思うこともあります。
2.自問自答
子供には立派に成長して欲しいと願うあまり、つい厳しいことを言ってしまう時があります。一方で、子供の立場で考えてみると、母親を失ったことで心に重い影を背負っているだろうとも想像しますので、優しく接することで心が安まる瞬間を子供に与えたいと思うこともあります。この両立は難簡単ではありません。妻が生きていた頃は、私が子供に厳しく接した時は妻が子供たちをフォローしてくれていました。その逆もありました。しかし、今は私が厳しさと優しさの両面で子供たちに接していかなければなりませんが、これがなかなか難しくて上手くいきません。メリハリの付け方って本当に難しいですね。このような接し方で良かったのだろうか?という自問自答の毎日です。
3.周囲のサポート
妻が亡くなって以降、さまざまな方々からサポートをいただいており、本当にありがたいと思っています。長男の同級生のママさんたちからは中学入学時にいろいろフォローをしていただきました。次男の所属するサッカークラブでも、役回りなどでママさんたちからフォローをいただいています。そして学校の先生も気にかけていただいており、学校での子供の様子などをお聞かせいただきます。
そのようなご厚意に対して何もお返しできていないことが申し訳ないと思うのですが、私自身の時間と体力の及ばない部分については、そのご厚意に甘えさせていただくことも多々あります。この点に関しても新たな発見というべきでしょうか。世間はもっとドライであると以前までは思っていましたが、色々サポートしていただくことから、思った以上に支えあって生きているんだということに気付かされたと同時に、世間はドライであると思っていた自分を恥ずかしくも感じました。
4.まとめ
ひとり親であるが故に、子育てにおける夫婦間の連携プレーができないことや、自分自身の子育ての仕方がこれで良いのかといった自問自答が尽きない今日この頃です。一方では、子育てのやり方そのものに良し悪しはあれど、最も大切なことは思いや愛情ではないかとも考えます。もちろん親の思いが強過ぎて子供が受け身になってしまうことは良くありませんし、あれこれ親が考え過ぎてしまうのも良くありません。そういう意味では子供と接する際のコミュニケーションスキルは必要と思います。ただ、どんなに巧みに言葉を操ってみたところで、子供に対して想いや愛情がなければ伝わるものも伝わりません。
妻が亡くなってから子供への親としての責任感をより感じる機会が増えました。最も強く責任を感じるのは、自分自身の寿命をできる限り長く保つことであり、健康を維持していくことです。次に子供の人生サポートで、子供たちが社会に出て自立していけるように導いていくことが求められます。そんなことを考えながら子供に接していると、1日があっという間に過ぎてしまいます。どこかで息抜きするのも必要と思う今日この頃です。
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